世界はことばでできている

〜成人期発達障害&聴覚障害者の日常〜

聴覚障害+成人期発達障害(ADHD)が日々考えていることや、聴覚障害者・発達障害者として生きていくライフハックを書いてます。あと、ニュースやら軍事やらについても飛びつきます。とにかく雑多なブログです。

聴覚障害

くらげは人工内耳をスマートウォッチを手に入れた!

ここのところ、非常に忙しかった。

というか、ずっと「忙しい」としか言っていない気がするのだが。
実際忙しいのでどうしようもあるまい。

金曜日は、仙台に行っていた。


先日、人工内耳が故障し修理依頼をしたのだが、修理不能だから買い換えろというのである。

100万円もするものをぽんと買い換えろと言うな!と切れかけたのだが、いろいろあってだいぶ安く交換できることになった。
(それでも我が家計に一時的に大きな負荷がのしかかるのだが)
日本の福祉は「手続きがうまくいけば」非常に強力なものであるな、と改めて実感した次第である。


しかし、人工内耳はどこでも簡単に調整できるものではないので、病院で交換する必要がある。

手術を受けたのが諸事情あり仙台の病院だったからだが、リハビリも仙台にいかねばならぬ。
非常に面倒なので都内の病院にデータを移して欲しいのだが、どこも患者がいっぱいで転院すらままならぬのである。
ひどい話だ。

なので、仙台まで行って人工内耳を受け取りに行った次第である。


で、新しい人工内耳であるが、これは非常に本体重量も音質も軽い。


ボクは人工内耳を普段は外しているが、今日は1日外出していても人工内耳をつけていたくらいだ。

雑音抑制が非常に優れた機種らしいが、なるほど、という次第である。

ただ、あまりにすっきりしすぎてかなり物足りなさを感じなくはない


言語聴覚士に「音の味わいがバドワイザーとギネスくらいの違いありますね」と感想を述べたが「ビールはあまり」とレスが悪かった。


あおが、「大きかった方の人工内耳と今の人工内耳の比較写真撮らなかったのか!」とボクを責めるのだが、補聴器を軸にした大きさ比較だとこんなもんである。

download_20151108_225336


download_20151108_225336 (1)

まぁ、かなり小型になったのは理解していただけると思う。


さて、本日はというと、某所に行っていた。

そこでお借りしたのはこれであった。

IMG_20151108_220752


そう、AndroidWearのスマートウォッチである。

「なんだ、iWatchのぱくりか」とか言いやがった奴は穴を掘るが良い。
ボクが蹴飛ばしてその穴を埋めてやろう。
スマートウォッチ業界においては、iWatchこそがパクリの後発品なのである。

それはさておき。


このAndroidWear(スマートウオッチ)はお仕事で記事を書くために拝借したものである。

しかし、「発達障害支援におけるスマートウオッチの可能性」について実験したいとお願いしたところ、割と長期にわたってお借りできることになった。

某氏の行為に感謝し、スマートウオッチで行える障害者支援の可能性を追求いきたいと思っている。

さっそく、Ingressを起動させてみた。

IMG_20151108_191556

インターフェイスが死ぬほどかっこいい。これだけでボクは満足である。


いや、支援技術は?


で、一応ついでにお借りしたBluetoothヘッドセットであるが、当たり前だが最大音量にしてもあまり聞こえない。


ところが、どういうわけか電源を入れずにセットすると、マイクだけが機能するようだ。

ボクの場合、スマートウオッチの場所まで腕を上げるのがしんどい。というわけで、こうなった。

download_20151108_220101

人工内耳の上にヘッドセットをつけている。

で、漏れた音を人工内耳がキャッチするという仕組みである。

これで実験したら、だいぶ聞き取ることができた。

ただ、「音漏れ」という可愛いものではなく、爆音を撒き散らすことになる。
根本的に「Bluetoothレシーバー」と「ヒアリングループ」を組み合わせれば問題ないのだが、素直にそうするのが面白く無いのがボクである。

あお「借りてきた目的忘れたら殺すよ?」

ボク「はい」

というわけで、今日のところは軽くいじったくらいで終わりにします。


なにか面白そうなテクニックとかあったら教えて下さい。

手話ニュースキャスターの表現力に目からうろこが100枚取れた

本日、母校の筑波大学附属聾学校(千葉県市川市)の文化祭だった。

実は、地味に社会人になってから毎年附属の文化祭に行っている。


特別な理由はないのであるが、社会人になってから市川住まいが長かった。


一年前に同棲のために引っ越したが、転職先が附属の近く(というか、附属の紹介)だ。


というわけで、先生方に毎年、挨拶と近況報告に行くのが毎年の決まりになっている。


で、今年は「ボクの彼女は発達障害2」を抱えてサイン本を配布していた。

ありがたいことの持ち込んだ分は完売、「もうないの?」と問合せが相次いだくらいである。

で、そのうち1冊は、NHK手話ニュースの那須 英彰さんに買っていただいた。


那須さんは筑波大学附属聾学校の先輩でもあるが、同時に山形ろう学校の先輩でもある。


本日は附属の同窓会でミニ講演会を行うためにいらしていた。


たまたまお見かけして、同郷出身ということをネタに売り込んで名刺交換させて頂いた。


少々歓談したあと、自著を拝呈しようとしたところ、「いや、買いますよ」と代金を頂戴した。

押し売りになってしまったようで申し訳ないな、と半分後悔したが、まぁ、この先何かにつながればよいのだが。

その後、特に用事もなかったので、那須さんのミニ講演会を拝聴した。

拝聴というか、拝見であるが。

テーマはスコットランドに行った時の失敗談というそれほど珍しい題材ではない。


しかし、その表現方法が凄まじくコミカルで手話というか「パフォーマンス」として逸品であった。


「音声言語をつかなわい表現力」でここまで魅せることができるのか、と目からウロコが何枚もでた。


じつは、近日中に講演会を行う。


その時、どのように講演をすればよいのだろうか、とずっと悩んでいたのだが、那須さんの講演をみてたいへん吹っ切れたものがあった。


「とにかく、コミカルな言動!」という当たり前なことであるが、ボクは実はとても表情が硬い。


この先1ヶ月、できるだけ表情を和らげ、動きの研究などをしたいと思った。


では、今日はこのくらい。

講演会などについてはまた公開できれば。 

【過去記事転載】人工内耳ユーザーとしての雑感(2010年度バージョン)

こんにちわ。

ちょっと、過去に書いたものをサルベージしたので転載しておきます。

人工内耳への問い合わせは時々頂くのですが、一つ一つお答えする時間があまりないもので、この記事を送付していました。

今回、ブログ開設にあたって、2010年の記事を改めてアップします。

近いうちに最新版を作りたいと思いますが、先程も問い合わせがあったので、つなぎとして。

【以下転載】

お久しぶりです。 
私の母親が今度請われて人工内耳についての講演会で講演をするため、私の意見も欲しいとの事で、母への返信で私の人工内耳に関する雑感を書いてみ ました。大変長いですが、自分の見解がかなりまとまったと思っており、人工内耳をつけようとしている方の参考に少しはなるのではないかと思い、メール内容 を公開してみます。人工内耳に興味のある方に一ユーザーの意見として読んでいただければ誠に幸いであります。

・・・・・・・・・・・・・・・・
以下転載です(一部伏字) 

こんにちわ。 
メールありがとうごいます。 
質問点についてちょっと細かく解説いたします。 

> 不便な点も多くあるけど、良くなった点もあるわけですよね。 

私の場合は人工内耳がよく適合していたので、トータル的に考えてよかったと思います。 
 
特に、聞き取り能力は手術後1年あたりから非常に向上し、環境にもよりますが、初対面ではまず耳が悪いと気付いてもらえないレベルです。(前もっ て耳が悪いと伝えることが殆どですが)
 
ただ、前に比べて向上したという話であって、完全に健常者と同一とは行きません。
健常者と難聴者の狭間で、どのような支援をしてもらえばいいの か、というのは非常に悩むところです。
 
職場や○○○の勉強会でも最初20分~30分はほとんど支援なしでも話が理解できるのですが、それを超えると疲れて聞き取りに支障が出ることがあ ります。 
 
また、人工内耳の影響とは外れますが、もともと、長い会話を音声だけで長時間聞き取るという訓練を殆どしていないため、短いセンテンスを的確に捕 らえる事は出来ても、それを話全体にあてはめて理解するというのは苦手なので、長時間に渡る会議や講演はPCテイクやノートテイクが必須になります。
(そういう意味では、子供のころから人工内耳を付けて訓練するというのは有効だと思います。しかし、単語単語を聞き取るだけではなく、話されている文章全体の 意味を理解するという訓練が重要だと私は思うのですが、実際の訓練はどうなんでしょうか?) 
 
言葉は理解できても、文脈がなかなか理解できないため、一度文章化されたものを見ると言う過程が話の理解向上につながるのですね、私の場合は。 

「声は聞こえるが文脈は理解できない」という事を伝えるのがなかなか難しく、聞こえてるから・話せているから支援は必要ないじゃない、という対応 を取られることがあります。 

また、私自身も支援を受けるのを臆して、(相手が忙しかったり、人手が無かったりした場合)は声が聞こえるからいいかな、等と考えて支援を申請し ない場合もあります。 

なので、人工内耳を入れたことで、入れなかった場合よりも、支援を受けるのは難しくなったな、というのはありますね。(自分の意識的にも、支援側 にとっても、です) 

ただ、支援なしでも、人工内耳が無い場合よりも理解できる絶対量は確実に増えているので、元々支援を得られない場合については人工内耳は非常に有 効なのは間違いないです。 

> 補聴器と比べて、重いですか? 

付けた直後は重さを感じる事がありますが、まぁ正直気にするほどではないですね。 
むしろ、補聴器より動きによって外れやすい事がちょっと問題でしょうか。もうちょっとフィット感がいい人工内耳が出ないかとは思いますね。 

> また聴こえ過ぎて雑音や生活環境音がうるさく聞こえるのですか? 

私の場合、子供のころから補聴器を付けるのは必要な時でして、人工内耳もその延長で必要な時だけ付けています。 
その為、未だに雑音や生活環境音に慣れておらず、聞き続けるのが非常に苦手なのです。 

(弟)からは何時もつけてるように言われることもありますが、私の場合、そのような音が聞こえないのが当たり前なので何時も補聴器や人工内耳を付 ける気はないんですよね。 

チャイムが鳴った事に気付かなかったり、道を歩いているときに後ろから車が来た場合は危ないのは分っているのですが…。 

人工内耳をつけてから、本当に小さな音でも気付くので、聞こえる生活環境音の幅が非常に広がりました。便利な点もあるのですが、やはり喧しいとい うのが本音です。 

人工内耳を常に付けているか、必要な時だけ使えばいいのか、についてはユーザーによるんじゃないでしょうか? 

多分専門家は常に付けていることを推奨すると思いますけどw 

> 音楽は補聴器の方が聴こえやすいとか言っていましたが、今はいかが? 

音楽については、補聴器も人工内耳も付けずに聞いています。今はそれでも特に不便は感じていますせん。 

補聴器や人工内耳を通して音楽を聞くと、生耳で聞いてると音と別物に感じて訳がわからなくなるのですよね。 

ただ、今以上に右耳が聞こえなくなったら人工内耳や補聴器を通して音楽を聞くことになると思います。 

そうしたら、人工内耳を通しても普通に音楽を楽しむことになるんじゃないでしょうか。 

試しに人工内耳を通して音楽を聞いてみると、確かに細かい音の差が分るのですが、生耳で聞こえない部分も聞こえるので違和感がありますね。 

> 補聴器と人工内耳を装用しているけど、人工内耳単装と比べるとどうでしょう? 

これは、前に先生に話した事があるのですが、絵に例えて説明します。 

人工内耳は非常に輪郭がはっきりとしたシャープな絵ですが、モノクロの絵のイメージです。 
逆に、補聴器は輪郭ははっきりしないけども、カラフルな絵の感じです。 

なので、両方同時に聞いて初めて絵の全貌が理解できる、というのが私の感触です。 

分りにくいと思いますので、もうちょっと解説すると、人工内耳の音は言葉がシャープに聞こえるのですが、音に厚みが無いのですよね。(最近は人工 内耳単体でも厚みを感じるようになりました) 
厚みが無い声というのは、なんか無機質でロボットみたいな声です。(多分分らないと思いますが、初音ミクの声もあんまり厚みが無いと思います。そ んな声です) 

逆に、補聴器は声の厚みは感じるのですが、言葉の輪郭があやふやに聞こえる感じです。 

両方付けた場合、頭の中で合成されて、厚みがあってシャープに聞こえる声になるんですね、私の場合。 

説明が非常に抽象的ですいませんが、こんな感じです。 

逆に母はどう聞こえているのかが気になりました。 

> (私の名前)だったら、自分と同じような聴力の人に人工内耳を勧めますか? 
非常に難しい問題です。というものも、私の場合、聾と難聴者のアイデンティティという問題を考えてしまうからです。 

私も人工内耳を付けるとき、非常に渋ったと思いますが、これも自分のアイデンティティの問題があったからです。 

私は聾学校で過ごしていて、私よりも全然聞こえない人と普通に接していたため、自分も聞こえない事が当たり前だ、自分は聾だという意識がありまし た。 

更に言うと、他のみんなより聞こえる自分に罪悪感を持ったりしていたわけですね。 

もちろん、人工内耳を入れるメリットは理解していましたし、興味もありました。(科学やSFは大好きですから、自分の身にどのような変化が起きる かに興味はありました) 

ただ、人工内耳を入れる事は聾ではなくなる、いう意識があるのと同時に、さらに聞こえるようになる事に対して罪悪感が乗じて複雑な葛藤が生まれた わけです。 

結局、好奇心と社会に出てからの事を考えて人工内耳を入れる決断をしたわけですが。(社会人になってから人工内耳を入れる時間はないと思っていた のもあります) 

で、同じような聴力の人に人工内耳を薦めるかと言えば、相談があれば人工内耳のメリットは説明しますが、デメリットも説明して、後の決断はその人 に任せます。 

聴力についての考えや辛さ、人工内耳に関する認識はその人その人でバラバラだと思いますし、それを尊重したいと思うからです。 

なので、特段こちらからお勧めをすることはないでしょう。人工内耳の手術を受けて聴力が向上する事だけがいい事ではないと思うからです。 

ただ、私の中でも結論が出ていないのは、幼児に対する人工内耳手術の賛否です。 
というものも、先ほど私が書いた意見はあくまでも「本人の意思による」事が前提になっていますが、本人の意志がはっきりしない幼児の段階で人工内 耳を入れる事ははたしていいことなのか?と思うからです。 

臨床データでも幼児の早い段階で人工内耳を入れる事が言葉の発達にいい影響を与えると言う結果が出ていると思われますが、運動に制限を受けたり、 キツイ訓練を受けたりする必要があるわけです。

また、今の段階でも幼児期に人工内耳を入れても、確実に聴力が回復するという保証はありません。
幼児期の場 合、その結果が分るのは何年も先でしょう。人工内耳を入れたから、確実にその子の未来が明るいとは限りません。

また、その子自身が大人になってから人工内 耳の手術を受けさせられた事を否定する可能性もないわけでもないと思います。 

幼児に人工内耳を入れる事は、大きなメリットが期待できると同時に、大きなリスクを孕んでいることも考えると、気楽に幼児に人工内耳を入れる事を 薦める気にはなりません。これは親の覚悟の問題になると思います。 

親に言う事があるとすれば、安易に人工内耳を入れる事で、子供が健常者と同程度になれると思ったら、親本人も子供自身も大変な挫折感を覚える事で しょう。 

人工内耳を入れるという事は、健常者とは全く違ったタイプの音を脳内で言葉として理解しなければならないという事で、当然訓練が必要でしょう。 

私の場合は、言語能力はそれなりに訓練を積んだ状態で人工内耳を入れましたが、それでも最初の半年間は常に耳の中でセミが鳴っている感じで、人工 内耳を入れた事を後悔したほどです。 

その苦痛を幼児が味わうとしたら、目を離したらすぐに人工内耳を外してしまうのではないでしょう
か。慣れるまでは子供が泣いてもむずがっても人工 内耳を付けさせる苦労は並大抵ではないとおもいます。 

また、私自身はよく分らないのですが、幼児期の人工内耳の訓練は、おそらく過酷な物になると思います。
その訓練は子供にも親にも大変な苦労だと思 います。
それを経ても完全に健常者と同じようにコミュニケーションをとれるようになるのはごく一握りでしょう。 

そのような苦労を引き受ける覚悟が合って初めて幼児に人工内耳手術をする資格があると思います。安易な手術は絶対に慎むべきです。 

また、人工内耳をつけたからと普通学校に進学させるのも同様に問題を引き起こす可能性があります。 
人工内耳はあくまでも補聴手段であって、現在の技術では健常者と同じようになれるわけではないからです。
人工内耳と言う技術を過信する事は禁物だ と思います。 

例え、全く耳が聞こえなくても教育次第では充分に充実した人生を送れると思いますし、逆に人工内耳を入れても教育がなされなければ宝の持ち腐れに なると思います。 

聾児を持つという事は、人工内耳の有無に関係なしに、充分な教育を親・教師・その他関係者が充分な教育を注ぐ必要があるということだと私は考えま す。 

長くなった上に、人工内耳に関係ない事も多くなりましたが、今現在、私が人工内耳について考えている事の大半は書けたと思います。 

参考になりましたら幸いです。 

私が直接講演した方が早いのでは、と思わんでもないですが、人前で話す度胸も知識もないですねw
くらげについて

聴覚障害(2級)とADHD(診断あり)と躁うつ病患者の三重苦ですがなんとか自立して生きてます。 このブログは障害者としていく意味やらライフハックやら時事ニュースを取り扱っていきます。
同じく発達障害の「あお」と同棲中。結婚はまだかと急かされています。
最新コメント
お問い合わせ・執筆依頼などはこちらへお願い致します

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
QLOOKアクセス解析