世界はことばでできている

〜成人期発達障害&聴覚障害者の日常〜

聴覚障害+成人期発達障害(ADHD)が日々考えていることや、聴覚障害者・発達障害者として生きていくライフハックを書いてます。あと、ニュースやら軍事やらについても飛びつきます。とにかく雑多なブログです。

2016年02月

20年越しの答え合わせ

こんばんわ

バレンタインデーですね。
チョコレート会社の陰謀により美味しいチョコを食べられています。
陰謀に感謝せねばなりませぬ。

あおはなぜかイングレスの伊藤園コラボキャンペーンプレゼントを一発で当ててます。
天からのあおへのプレゼントでしょうか。

本日は幼少より慕っている方に久々に会うことができました。

その方に小学生のころ、何か誓ったおぼえがあるのですが、何を誓ったかはっきり覚えていませんでした。

数年前にお会いした時、それを聞いたら「私は覚えてるけど、それはあなたが思い出してね」と言われていまして。

親に聞いても「そんなことあったとは覚えてるけど、なにを言っていたかは覚えていないなー」ってことで、何だったかなーとすごくもやもやしていたのですが、つい最近、もしかしてあれなのかな、と思うようになりまして。

本日、少しですがお話する機会がありましたので、「子供のころ、あなたは私に『あなたは障害があるけど、だからこそできることはたくさんある』とおっしゃいましたね。それで、私は『わかりました自分だからできることをがんばります』と誓ったのだと思います」とお伝えしました。

その方は「そうです、よく覚えていましたね。あなたが本を出したのも知っていますよ」とおっしゃられました。

20年ぶりの答え合わせができたことと、私が本を書いたことをお忙しい御方がご存知のこと、大変嬉しく感じました。

また、言葉ではないのですが、その目は「まだまだこれから」と伝えてくださったように感じました。

私は障害者として苦しい時を何度も経験してきました。そのたび、何度も死にたいと思いました。

でも、そのたび「障害を持つのは苦しい、でも、障害があるからこそできることがある」という確信じみたものに支えられ、家族や周囲に大迷惑をかけながらもなんとか生き続けて来られたと思います。

本を出せたことも「障害があるからこそできることがある」という執念じみたものぎあったからこそ出ないかなという気もします。

ただ、なぜ強固にそこまで「障害があるからこそできることがある」と思い込めるかわかんなかったのですが、本を書いたりいろいろ活動していく中でいろいろ思い返して行く中で、「あ、そういうことだっんだ」とその方のお言葉に気づいたわけです。

なんつーか、20年前の一言が今の自分を構築した一つになってることは「言葉の重み」というか「凄み」というか、そういうものを深く噛みしめる次第であります。

このブログのタイトルを「世界は言葉でできている」ってつけたのは「世界は言葉でしか表現できない」って意味が強いのですが、私自身が持っている「言葉によって作られた強い思い」の現れかもしれないですね。

しかし、御方からの言葉で救われた私は。
同じ「言葉」をもってこの世界にあふれる苦しみ悲しみを少しでも癒やしていきたい。

言葉はナイフにも薬にもなる。

だから、少しでも思慮深くなり、言葉をくすりとして使える機会を増やしていきたい。

それが御方への恩返しです。

そんな、「人生の意味」を深く考え直したバレンタインデーでした。

最後に、御方の言葉を送ります。

「人生には、『こうなったからこうなってしまった人生』『こうなったけどこうなれた人生』『こうなったからこそこうなれた人生』の3つのタイプがあります。あなたはどの人生を歩みたいですか?」

「青春基地」で炎上した高校生のあなたへ

「青春基地」というサイトが炎上し、現在無期限休止状態に追い込まれました。

炎上した流れについては、以下のサイトを見ていただければ。

想定外の晒し上げをつくる!10代のメディア「青春基地」が3度の大炎上


「Copy writing」騒動の「青春基地」が謝罪文を訂正 高校生記者の意見が掲載されるも「内容が不穏」の声

応援する? それとも叩く? 10代向けメディア「青春基地」の光と影


今回、「既に終わった」この事態について取り上げたいのは、おそらく彼女には届かないでしょうが、「ネットメディアに関わっている私から、炎上した高校生へ伝えたいこと」があるからです。

以下、炎上した「あなた」へ宛てる言葉です。

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「炎上したあなたへ」


はじめまして。私はくらげと申します。


おそらく、読まれることはないでしょうが、私はあなたに伝えたいとことがあります。


私は今、31歳の「大人」です。

私は本を出版し、それと並行して様々なウェブメディアでも執筆しています。

もし、あなたがこれを見ることがあれば、あなたのほんのちょっとした先輩として、話を聞いてもらえないでしょうか。


私はあなたが青春基地に書いた記事を読みました。

あなたがあの人物に興味を持ったのはなぜなのか、本当のところはわかりません。
世代の違い、ネットに対する意識の違い、そのようなものの断絶はおそらく埋められないでしょう。

ですが、それだけです。

私がこれまで炎上せずに、あなたが今回「炎上」したのは、興味を持ったものが違った。
それだけなんです。

同時に、あなたの文章には、真っ直ぐな、素敵なものの断片を感じました。
私は、あなたが今回の騒動を乗り越え、その素敵な文章力を更に伸ばして欲しいと、本気で感じています。

といっても、あなたは今、ひどく落ち込み、傷ついていると思います。

でも、その自責はおそらく間違っているのではないか私は感じるのです。

あなたは、青春基地が閉鎖してしまったのは自分のせいと自分を責めているかもしれません。

もしかしたら、50人の仲間を裏切ったと悔やんでいるかもしれません。
しかし、それはあなたの責任ではないのです。

そのことを、ちょっとだけ、説明させてください。


わたしは様々な「ネットメディア」に接してきたものとして、今回の騒動には怒りを感じています。

もちろん、あなたにではなく、「ネットメディア」の名前を掲げながらも、あなたに責任を押し付けてにげた「大人たち」にです。

私はライターと運営者の責務は全く違うものと考えています。

ライターは書くことに、運営者は記事をどのように掲載するかに責任を負います。
メディア運営においては運営者とライターは両輪であり、どちらがエラい、というのはありません。
ですから、私は信頼できる運営者がいる仕事を優先しますし、そのような方と出会えるはこと喜びです。

逆に、まともなポリシーを持たない「メディア」と仕事をすると酷い目にあう、ということも身をもって学びました。


そして、青春基地の「大人たち」は、残念ながら、編集者としての能力がなかったように感じます。


運営者とは、とくに「メディア」を掲げるならば、「メディアの役割」を自覚し、それに合わせて誰に何を書かせるのか、その責任も負わなければならないものなのです。


失礼ですが、若いあなたたちが自由気ままに記事を書いてしまえば、それはメディアでも何でもなく、単なる日記帳にしかならないのではないでしょうか。


運営者が「自由なメディア」と言ってあなたに自由に書かせていたかもしれません。

しかし、自由に書かせる、とはとてもリスクが高いものなのです。
そして、あなたの記事がどのような影響力があるのかまったく見極めずに掲載してしまった。
それは、運営者の無能の問題であり、あなたが責められるものではないのです。

あなたは確かに「おかしな記事」を書いたかもしれない。

パクリツイートアカウントを本気で「素敵なアカウント」として認識していたかもしれない。
しかし、そこは「若さゆえの過ち」で済む問題に過ぎません。

私が調べた範疇では、あなた自身を批判する声はほとんど見ませんでした。


それはなぜか。


この騒動を批判している方々が大人だからです。


日々の仕事をこなしている「立派な」大人たちは、この責任がどこにあるか知っています。


あなたの味方は、ちゃんと世の中に存在します。


あなたは若い。この過ちから学べることはたくさんあるでしょう。

だから、あなたは前を向いて、歩いてください。

そして、文章を書くことを嫌いにならないでください。


あなたは素敵な言葉の数々に心惹かれるなら、今度は、あなたが素敵な言葉を紡ぐ人になってください。


私の好きな元ちとせさんの「語り継ぐこと」という歌があります。

その中にこんな言葉があります。

「語り継ぐことや伝えていくこと 時代のうねりをわたってゆく船」


語ること。それは、私たちが世の中を紡ぐこと。


あなたの言葉も、世の中を紡ぐ糸であり、書くことは、この時代を紡ぐこと。

だから、あなたも「語り継ぐこと、伝えていくこと」
そのことをあきらめないでください。

それが、「大人」としての私からのあなたへのエールです。

最近のくらげ家は大変です

どうにも最近は忙しくて物事をゆっくり考える暇がない。

砂時計に石が混じったいるかのごとく、思考がサラサラ流れず、どこかで詰まる感じがするのである。


なんか気持ちがいいものではないし、ストレスもたまるのでなんとかしたいのだが、その方法が思い浮かばず悶々としているところである。


そんな中、ちょっと小説の書き方についてしらべていたら、「現代人は情報が多すぎて脳に情報のゴミが溜まっているのだ」という言葉を目にした。


そのゴミを流すには、とにかく書いて、脳にある雑多な情報のクラスタを形にして流してしまうのが一番だという。

なるほどである。

最近は確かにいろいろ書いてはいる。だが、仕事での書物が大半であり、自分の頭の中にある雑多な情報の断片の整理ができるタイプの書物をする時間はほとんどなかったな、と反省する次第。


というわけで、むりやりにでもブログを書いてみることが今のストレス発散に必要なのかと、数日は短文でもブログに書くようにしたい。


さて、前置きをしたところで、本日の記事である。


ここ数ヶ月ずっとであるが、あおの調子はあまりよろしくない。特に朝が厳しい状態だ。


原因はこれまでずっと飲んできた睡眠薬が乱用が問題になったのを理由に生産中止になったことで精神的なショックを受けたことと、代替の薬があまり合わずに睡眠リズムがダダ崩れなことだ。


ボクの腰痛で心配をかけた時期ともかさなり、かなりストレスがたまっているこたもあるのだろう。


おかげで、朝まともに起きて遅刻せず出勤するというのができない状態が続いている。


ボク自身も落ち着いてきたとはいえ、足の痛みはいかんともしがたく、痛みによるストレスや疲労、痛み止めの副作用などで依然かなり無理をしている状態だ。


なので、あおのストレスを真っ向に受け止めうまく解決する方法をうまく思いつけず、逆にいらいらすることもある。


どうにもよろしくない状態なのは理解しているのだが、どーにもこーにも、である。


ボクは意外にストレス発散は苦手である。


だから悶々悩む。悩んだ果てに忘れることもあれば、しこりとなって残ることも多々ある。


そのしこりに心とらわれると、すべてがうまくいかないときもある。


まぁ、今がそんな状態なのだが。


こういう時は、下手になんやかんやと動きまくってもろくなことはない。


ストレス発散しようとしていつもと違うことりしても、トラブルが起きるのは目に見えている。


(それに、財布的にも危機はある)


今はかなり辛い時期ではあるが、こういう辛さは覚悟して同棲したことでもあるし、今回とは比較ならぬひどい時期もあった。


その解決にはとにかく忍辱と自戒をこめて、普段のことをいつも通り普通に行うことが大事なのだ。


まァ、それが難しく大変だから今のこんな状態になっているのだが。


ところで、人間面白いもので、気分というものはどういうわけか伝播する。


それも、悪い気分は増幅して伝播し、良い気分はむしろ縮小して受け止められるのである。


で、悪い気分は次々と増幅して、人間関係というのはわりとあっさりほうかいしてしまうものだ。


良い気分はそこまで増幅しないので、気分の修復はわりと困難であるり


ボクのストレスによる悪い気分があおに伝播し、あおの精神的なコンディションが崩れて、そのコンディションの悪化がボクにストレスをもたらし、という繰り返しというのが現状であるので、まずはこのサイクルを断ち切りたい。


そのためにも、やはり頭の情報過多によるストレスも減らしていかねば、という次第である。


当面、どうでもいいことしか書かないと思うが、ボクとあおの健全化にご協力いただきたい次第である。


では、また

PS.里山たぬ子さま、いつも本当にほしい物リストからありがとうございます。届くたびに土下座状態です。

なお、現在もほしいものリストは公開中ですので、いつでも送りつけていただいてけっこうですので!

あと、あおのほしい物リストはコチラ! 

あ、あと2月26日に講演会やります。詳しいことはFBにて。
くらげについて

聴覚障害(2級)とADHD(診断あり)と躁うつ病患者の三重苦ですがなんとか自立して生きてます。 このブログは障害者としていく意味やらライフハックやら時事ニュースを取り扱っていきます。
同じく発達障害の「あお」と同棲中。結婚はまだかと急かされています。
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