世界はことばでできている

〜成人期発達障害&聴覚障害者の日常〜

聴覚障害+成人期発達障害(ADHD)が日々考えていることや、聴覚障害者・発達障害者として生きていくライフハックを書いてます。あと、ニュースやら軍事やらについても飛びつきます。とにかく雑多なブログです。

2015年10月

障害が治る薬があったら飲むか?

あおが最近なぞかけをする。

「1週間飲み続けるだけで聴覚障害や発達障害が治る薬をあれば飲むか」という問いである。

なぜこんな質問をするかというと、この前のブログに書いた「オキシトシン」のことが気になるらしい。


「もし、障害が治る薬があったら飲みたいか」という命題がずっとぐるぐるしているそうだ。


あお「で、そういう薬あったら飲む?」

俺「ボクなら飲まないと思う」
あお「なんで?」
ボク「ボクはこの身体で31年生きてきたからね、今更耳が聞こえるようになったところでどうしていいか逆にわからん」
あお「ですよねー」
ボク「じゃ、お前は飲むの?」
あお「ウチものまんなぁ」
ボク「なんで?」
あお「あんたと同じ理由だよ。この悪い頭だけどさ、これでずーっとやってきたわけ。今更「頭良くなりますよ」って薬渡されても、今の生き方以外、できる気がしないんだよね」
俺「ですよねー」

ボクらは「不幸」にも障害を持って生まれてきた。


しかし、この「不幸」と30年前後寄り添って生きてきたのだ。


今更「不幸」でなくなることなんて、なんて逆に「不幸」なんだ。


たとえそれが真人間としての道を歩めないとしても。

ボクらの人生が、誰かのオルタナティブではない、オリジナルの人生を生きる重しにして証。
それがボクらの「誇り」だ。

ボクらは「不幸」を背負って生きたし、これからも生きていく。


だから、ボクらから、障害を奪うな。

ボクらは、「障害」を乗り越えない。
でも、悲観もしない。楽観もしない。

ただ「生きていく」のだ。


命がある限り。


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それはともかく、酒がうまいのである。


旨い酒が週末に飲めればだいたいのことは幸せであるな、うん

 

空回りな日々

スイッチが入らない

ちょっと前に「やる気スイッチ」を探すといCMがあった。
どんなのだと確認のために見てみたら、けっこうキチガイじみててアレだったが、それはさておき。



今のボクはスイッチが入ってない。

正確に言えば、主スイッチが入ってないのだ。

副スイッチは100個くらいオンにされてる感じなのだが。

つまりは、細かいことは色々やりたいのだが、大きな軸が全く動いてない。

あれもこれもしなきゃ、と気は逸るのだが、どいつもこいつも中途半端に「始まらない」

中途半端に「終わる」なら理解できるが、始まらないとはどういうことなのだ。

開きかけのペン、ページが中途半端にめくれたままの本、コーヒーカップに粉は入っているのにお湯は入っていない、パソコンは無数のウィンドウが開いては全て最後まで読まないまま放置されてる。

つまるはどうしようもなく「中途半端」な状態なのである。


しかし、この「中途半端さ」は「やる気の無さ」からくるものではないのだ。

むしろ、やる気がありすぎるときに起きる状態なのである。

前回のブログではチェックリストを徹底的に気がすまない状態と書いたが、チェックリストに書いた「やりたいことリスト」が非常に膨大になったのだ。


しかし、当たり前だが人には1日24時間しか与えられていない。

そして、その24時間から「本業」「執筆活動」「家事」などを抜くと1日自由に使える時間は睡眠時間を削っても1時間30分がよいところだ。(通勤中は読書時間・ニュース収集に当てている)

1日にできることなんて大したことはないのだが、どうにも「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の区別がよくついていないボクは「やりたい=やらなければ=毎日やらなければ」となるのである。


となると、人間、効率化を求めたくなるものだ。


その結果、このようなPC環境ができるのだが、実際に効率化したかって?


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Chromebookを寝室のこたつテーブルで書いたほうが何も迷わずできるので困りませんが何か、というところである。

だめじゃん。

でまぁ、あおに比べたらマシだが、ボクも物事の順列というのをよくわかってないようだ。

なので「どれから手を付けていいかさっぱりわからない」というエラーが発生する。

最近は優先順位をつけやすいようにアウトラインプロセッサでスケジューリングをしているが、ヘタしたらスケジュール管理にハマって実際に何かやる時間がなくなる、という問題が発生するのだ。


だめじゃん。


下手にテンションが高いと本当に何も逆にできなくなる。これを空回り、というのである。


では、どうしたらいいのか、というところは次回。多分。


なお、このブログのネタ、書きかけが常に10個くらいあるんだよなぁ・・・


だめじゃん。


ブログのネタ、誰か買いませんか?

チェックリストに埋もれては

3日間、ブログを更新しなかった。

忙しかったのである。
具体的に何に忙しかったか。
いつもの「ビョーキ」である。


時々、だいたい3~4ヶ月に1回、身の回りを完全にきちんとしなくては気がすまなくなることがある。
きちんとするとはどういうことか。 今回は以下の様なものを作った。

「金銭管理シート」
「日常スケジュール管理シート」
「作業進捗表」
「毎日やることチェックリスト」
「掃除チェックリスト」
「ほしい物リスト」
「将来的に買う家具リスト」
...

いや、これらを作るのは、ADHDなどにはとても有効だ。
実際、これらを作って見えてくることはある。

しかし、ADHD特性のわりと面倒くさいのは過集中と詰め込み癖だ。

で、定期的にこの癖が大爆発することがある。 岡本太郎は「芸術は爆発だ!」というが、「チェックリストが爆発だ!」である。
なお、この人はADHDあっただろ、本当に爆発してんもん、というところがボクとあおの共通見解である。


それはともかく、一度「チェックリスト」を作ったらとにかく思いつく限り作らなければ気がすまない。
今回はそのビョーキが大爆発していたのである。
しかも、チェックリストをきっちりツメツメに記入してしまうのもこの時期だ。

で、その結果何が起きるか。
チェックリストを記入する時間で作業時間が消滅するのである。
人、これを本末転倒という。

チェックリストを作るのは、生活を楽にするためである。
生活で忘れ物をなくし、トラブルを起こさないようにするためのツールは多ければ多いほどよい。
だが、チェックリストを作って記入することが目的になってはいけない。
手段と目的の逆転は必ず敗北の道なのである。

また、詰め込みすぎてどこかで破綻すると全部破綻する。

コレもボクがしょっちゅうやらかすことだ。

ツールは多ければ多いほどよい(二度目)
しかし、使う中で、必要な機能以外はそぎ落としていくとよい。
そうでなくては、ツールに使われて本来やりたいことができない、というのはよくあることだ。
これは、別に発達障害に限らず、仕事全般に言えることだが。

まあ、この「ビョーキ」はだいたい1ヶ月続くのだが、今回はこのブログが書けるくらいには落ち着いた。
これまぁ、身近で色々コントロールしてくれるあおがいるからだ。
ありがたいことである。

なお、今回のビョーキでは、書斎(のようなもの)の改善を図るということもやった。
いつもは本当にいろいろ買いまくって後から後悔するのだが、流石に学ぶ。
あおに金とキャッシュカードを預けて、1万だけ持って秋葉原に行った。

その結果がコレである。

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この構造の詳しい解説はまたするが、とにかく快適な書斎環境になった。
さぁ、後は存分に書くのである。

というところで眠くなったのでまた明日。

だめじゃん。

PRe Nippon企画展のご案内:代官山で会いましょう

今、代官山の蔦屋書店などというオサレでハイソの頂点にあるような書店に「ボクの彼女は発達障害」が展示されている。

こんな感じにだ。
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なんというか、恐れ多いというか場違い感半端無いが、大丈夫かこれ。

といっても、今回は別にボクかのがメインのイベントではない。
PRe Nipponの企画展におじゃまさせていただいたのだ。
展示していただいた関係者皆様には感謝感激、土下座切腹である。

PRe Nipponは「福祉事業所の問題解決+社会に価値を生み出す活動」を行うことを目的に、2012年1月に発足したプロダクションだ。

サイトを見てもらえればわかるが、大変にオサレでかわいいメモや蝶ネクタイを作製している。
その中の、「ゲラメモ」にボクかののゲラも含まれているのだ。

「ボクの彼女は発達障害」の編集作業も差し迫った頃、編集者から「ゲラ、あげてもいいですか?」という問い合わせがあった。
 話を聞けば、編集者の知人が関わっているPRe Nipponという団体があり、「ゲラメモ」という製品を障害者事業所で作っているのだという。
 「ふむ、それなら別によかろう」と思ってそれほど深く考えずおkを出したのだった。
ゲラもそう無いだろうから、すぐに無くなると思っていたし。

で、先日、編集者から「代官山蔦屋でゲラメモを展示するらしいから行ってこいよ!」という命令お願いがあったので、驚いた。
「協力者としてボクかのも展示してくれるってよ!」というので更に驚いた。
 
聞けば、「ボクかのを使ったゲラメモ、まだ売っているよ!」という。
そんなに売れてないかの心配になったのだが、「いや、結構売れてるよ」という。

で、ボクは「ゲラってそんなに出るものなのか?」と聞いたのら、「何言ってるんですか、くらげさんに渡したのはほんの一部ですよ!」という。

まず、自分で校正する分、ボクに送る分、校正担当者、その他色んな所送る分で1セットあたり200枚以上のグラが出る。
それが「第一校」「第二校」「最終校」と出るわけだから…
計算するにも恐ろしい量になる。
それを細切れにして、他の本のゲラも混じっているわけだから、そりゃまだ流通するか、と思った次第。

で、このゲラメモ、伝統工芸の技術を習得した障害のある方が一つ一つ丁寧に貼りあわせて作ったそうだ。

中はこんなふうになっている。
 
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残念ながらボクが買ったゲラメモにはボクかのは入ってないなかったが、雰囲気は掴んでいただけると思う。

しかし、ただのゴミにしかならないゲラをこんな風に再利用していただけるとは、作者としても大変嬉しいものだ。
それが他の障害のある方の仕事と収入を生み出した、となればなおさらである。

ところで、編集者から「協力者としてコメント書くことになったよ!くらげさんのコメントも入れたいか何か言葉頂戴!」とリクエストがあったので、「編集者をもっと泣かせてゲラを作ればよかったと思いました」と答えておいた。その結果がこのメッセージカードである。
 
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そのまま使ったのかよ!さすがこんなかけあいをした仲だな!
 
さて、まじめにフェアの案内しておく。

これからの人、これからの職、これからのNipponのために。 -PRe Nippon meets 代官山 蔦屋書店-」は、10月31日(土)まで、代官山蔦屋書店1号館(文学フロア:2号館につながっている入り口を入ってすぐ左のエスカレーター脇)で開催されている。

ゲラメモも大変カラフルだが、様々な彩りの蝶ネクタイも展示されていて、非常に華やかしい。
 興味があればぜひ企画展に立ち寄って欲しい。

また、ゲラメモ、Musubi-Tieともにその場で購入可能だ。

ゲラメモは、もしかしたらボクかのの生ゲラが入っているかもしれないから、ファンは買って損はないと思う。
というか買え。

また、展示している「ボクの彼女は発達障害」も購入可能なはずだ。
立ち読みしたい方もついでに行ってはいかがだろうか。
そのまま買っていただき、報告いただけるともしかしたらボクからプレゼントが送られてくる可能性もある。
あくまでも可能性、である。

にしても、代官山蔦屋に「ボクの彼女は発達障害」を展示させていただいたPRe Nipponの皆様、そのきっかけを作ったくれた編集者に感謝申し上げる次第である。

このブログで少しでも恩返しできたら幸いである。

では皆様、代官山で会いましょう。

ボクのダメ方程式がなんとなく見えてきた

今起きたことをそのまま書く。

あおが「あんたがいま着ているTシャツ、俺のじゃね?」という。
異様に裾がめくれいているらしい。
ボクは「そんなわけないじゃないですかー、やだー」とTシャツを脱いでサイズを確認したらMであった。
ふたりとも一瞬固まったあと「「ありえねー!?」」と叫んだ次第である。

あお「うちがTシャツないないと探してたらお前かよ!」
ボク「なんでお前のTシャツがボクが着られるんだよ!おかしいだろ!」
あお「そんな逆ギレ知らねぇよ!うちのボケかと思ったらお前の大ボケかよ!Tシャツ探してた時間返せよ!」
ボク「しらねぇよ!」
あお「っーか違和感なかったのかよ!」
ボク「違和感はあったよ!でもそのまんまにしてたよ!」
あお「違和感!違和感仕事して!あんたの仕事なみに仕事してないよ!」
ボク「本業では一部は優秀だよ!大体無能だけど!」
あお「全体的に有能になれ馬鹿!」

とかこんな大騒ぎしてたわけですけど。

ところで、ボクはADHDのどうかわからないのだが、違和感が本当に仕事をしないことがある。
今までやらかした違和感が仕事しなかった例を列挙するときりがないが、いくつか上げる。
・蓋を開けたままタンブラーを鞄に放り込んだ。(蓋が開いているのは認識していた)
・濡らしていはいけない書類を雨の中そのまま運んだ。(濡らしてはいけないことは十分承知の上だった)
・身体障害者手帳を胸ポケットに入れたまま洗濯機に突っ込んだ。(これは手帳の存在を忘れていた)
・誤字脱字に気がついてもそのまま送信ボタンを押してしまう。(これは日常)
・USBが刺さらないと3分位格闘していたら実はHDMI端子だった。(これも日常)

うん、ダメ人間すぎる。
本当に「書くこと以外は無能」である。
(ここまで書いたら、あおが「手書きも汚いからタイピング以外無能と書け」といわれる)
あ、「あおに食事を作る」ということに関してはまだましか。

で、どうも、「わかってるけどやってしまう」というのがボクの特徴としてあるようだ。
何故かというと、Aという動作をしようとしている最中にBという情報が入ってきても、Aという動作を続けようとする慣性力がすごく強いようだ。
ふつうは「違和感」としてストップがかかるものがかからない。

さっきのシャツの件で言えば、「シャツを着よう」という行動を起こして、頭のなかはシャツを着ることでいっぱいである。
で、あおのシャツを(たまたま)取ってしまったのだが、頭はシャツを着るというという目的を覚えていることで精一杯でそのシャツがどんなのか注意を払う余裕が無い。
そして、おもむろに着る。
その時点で、「キツい」という自覚はあるのだが、「おかしい」とはどうも思わないのである。
せいぜい「洗濯して縮んだかなー、こんなシャツ持ってたっけかなー、まぁ、いいや」というくらいである。

整理しよう。
ボクの不注意によるミスというのは

「違和感が仕事しない」+「動作をキャンセルできない」+「まぁいいかで適当に済ませる」+「思い込みが激しい(しかも勝手に思いつく)」

という壮絶にどうしようもないものの上にどうしようもないことが重なっているような気がするのだ。

いや、そこまで分析できるなら直せよ、といわれそうだが、分析できてもそれがどうにも止まらないのがADHDがADHDである所存である。

なにかいい方法はないかな、とは思うのだが。

特に深刻なのは「動作をキャンセルできない」か。
一旦始めたら、その「始めたこと」に意識が集中して他の情報が目に入らない。
いや、入っているのだが、頭で処理できないというか。風景としかうつらないというか。

という話をあおにしたら「よくあんた今まで生きてこれたよね」とまで言われた。
同意しなくはないが、こいつだけには言われたくないとは心底思うのではあるのだが。

で、あおは
「つまり、あんたはバックアップをとらずに動いてるシステムなようなもんね」
 という。
「どういうことか?」
と聞くと
「さきのプログラムを動かしてて、突発的に別なプログラムが動くとそっちが動いて先のプログラムが消えちゃう」
というのである。
「あとさ、あんたの頭のなかに「別名保存」がないんだよ」
ともいうのだが、なるほど、納得である。
いや、納得してもしかたがないのだが。

あお「あんたは本当にワープロだね」
ボク「なんで」
あお「書くことしか能がないってよくいうやん、あと保存ができないし、よく消えるし」
ボク「せめてWindows95になりたいです」
あお「MS-DOSからやね」
ボク「そこからかよ!」

さて、どうしたらOSを改良できるのか。
っーか、できるんでしょうかね、ってところで今日はこのくらいで。

なお、この原稿はあおから誤字脱字をチェックしてもらってますが、すさまじいことになっていたことを報告いたします。
くらげについて

聴覚障害(2級)とADHD(診断あり)と躁うつ病患者の三重苦ですがなんとか自立して生きてます。 このブログは障害者としていく意味やらライフハックやら時事ニュースを取り扱っていきます。
同じく発達障害の「あお」と同棲中。結婚はまだかと急かされています。
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