あおが最近なぞかけをする。

「1週間飲み続けるだけで聴覚障害や発達障害が治る薬をあれば飲むか」という問いである。

なぜこんな質問をするかというと、この前のブログに書いた「オキシトシン」のことが気になるらしい。


「もし、障害が治る薬があったら飲みたいか」という命題がずっとぐるぐるしているそうだ。


あお「で、そういう薬あったら飲む?」

俺「ボクなら飲まないと思う」
あお「なんで?」
ボク「ボクはこの身体で31年生きてきたからね、今更耳が聞こえるようになったところでどうしていいか逆にわからん」
あお「ですよねー」
ボク「じゃ、お前は飲むの?」
あお「ウチものまんなぁ」
ボク「なんで?」
あお「あんたと同じ理由だよ。この悪い頭だけどさ、これでずーっとやってきたわけ。今更「頭良くなりますよ」って薬渡されても、今の生き方以外、できる気がしないんだよね」
俺「ですよねー」

ボクらは「不幸」にも障害を持って生まれてきた。


しかし、この「不幸」と30年前後寄り添って生きてきたのだ。


今更「不幸」でなくなることなんて、なんて逆に「不幸」なんだ。


たとえそれが真人間としての道を歩めないとしても。

ボクらの人生が、誰かのオルタナティブではない、オリジナルの人生を生きる重しにして証。
それがボクらの「誇り」だ。

ボクらは「不幸」を背負って生きたし、これからも生きていく。


だから、ボクらから、障害を奪うな。

ボクらは、「障害」を乗り越えない。
でも、悲観もしない。楽観もしない。

ただ「生きていく」のだ。


命がある限り。


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それはともかく、酒がうまいのである。


旨い酒が週末に飲めればだいたいのことは幸せであるな、うん