こんばんわ。くらげです。
ブログ始めました。
当面、このブログが仮の公式サイトとなります。
そのうちドメイン変更したりなんだりしてちゃんとした公式サイト作りたいと思いますけど。

で、なんで急にブログを始めたのかといいますと、割りと思索的な問題でして。
かっこ良く言えば「言葉の力を失いつつある時代への抵抗」というところでございます。
平たく言ってしまえば「ツイッターに飽きた」ってことなんですけどね。

ここ数年間、いろいろツイートして、色々な動きを見てきました。そして、ツイートをきっかけに本とか出しちゃったんですけど、最近のツイートの動きを見ていろいろ考えることがありました。

ツイッターのいいところは他の人の共感した言葉を簡単にシェアできること。つまり、拡散力が非常に強いツールです。それを通してコミュニケーションをとったり、いろいろ縁ができたり、社会問題に取り組んだり。
でも、その拡散された断片を見て満足していないか。自分の言葉の失っていないか。
また、「人に流されることなく自分の頭で考える」という作業をサボっていはいないか。

そういう目でツイッターを見返した時、「言葉の力」を失う使い方を俺はしてるんじゃないかと感じたわけですよ。
 
「言葉の力」とは何かッて言われると困るんですけど、ちょっと考えると「人に変化を促すこと」なんじゃないかと。
いや、ツイートの言葉が人を動かさないってのがないかってと、そうではない。むしろその逆。
でも、「咀嚼する余裕」がすごく少ないツールなんじゃないかと。人間、「言葉に対する咀嚼」が少ないと、どんな情報を入れても「生まれてきてからこれまで身につけてきた思考の型」によるある意味「量産型」の意見しか書けないんじゃないかという。それ、思考が惰性に陥り知性は劣化する一方なんじゃないかという危機感を覚えるわけですよ。

で、それを考えた時に「言葉」って「ゆらぎを生む」って機能もあるよねって思うわけですよ。

折しも「ADHD」という障害をもってるって言われてました。
それで、じっとしてられない俺は「ゆらぎつづける」ってことだけは得意です。
子供の頃から「自分に軸はない」って思ってるから「波に漂うくらげのようだ」ってことで「くらげ」ってハンドルネーム作ったわけなんで。

話を戻すと、だいたい人間、30もしたら「思考の型」ってだいたい固まっちゃう。軸がない俺でもどんどん固まっていくのを日々実感するわけで。バッキバキに。ツイッターで何見ても「決まりきった反応」しかしないし、だいたい枠にハマった言葉しかツイートしないし。(そもそもツイートしたい話題がないってのもある)
それ、今後も作家をしていきたいって人間としてどうなんよ、と。このまま情報に溺れて、快・不快だけでツイート選んで反射的な反応返して情報の哲学的ゾンビになるのかと。

でもさ、俺、ゆらげるじゃん。
無理に考えを固めて揺らがないってのが無理なんだよ、俺は。

じゃ、揺らごうって。
一人でPCに向かって一人で「思考をゆらがせる時間」を作ろうって。
即座の反応を得るためではなく、自分の内側との会話をもう一度始めてみようって。
だから、人に読まれないのを前提にブログで書いてみようって。時間かけてじっくりと。

「なら、日記に書いておけよ」という話なんだけど。
でも、せっかくなら頭の中身を晒したいじゃない。
これを気まぐれに読んだ人に少しでも「ゆらぎ」を起こせればいいなって。
 
それが「言葉の力が弱まってる時代」への僅かな抵抗だったらいいなって思う。

まぁ、次の本のための布石・メモ帳でもありますけどね。

というわけで、暇なときのちょくちょく書くと思うんで、よろしく。