世界はことばでできている

〜成人期発達障害&聴覚障害者の日常〜

聴覚障害+成人期発達障害(ADHD)が日々考えていることや、聴覚障害者・発達障害者として生きていくライフハックを書いてます。あと、ニュースやら軍事やらについても飛びつきます。とにかく雑多なブログです。

言葉で仕事は出来ている、でも言葉を紡ぐのが苦手なのだ

昼休みである。

その隙間時間にちょっとメモを兼ねてブログを書く。

すっかりブログ中毒である。
 
ここのところずっと悩んでいることがある。

最近は自分の発達障害の事ばかりを書いていたが、ボクのメインの障害はじつは聴覚障害だ。

ボクが耳が悪いのは周知のことだと思う。

もちろん、ブログでボクをはじめて知った人はその限りではないけど。
普段は人工内耳と人工内耳をつけて仕事をしている。この装着している状態では「言われなければ聴覚障害があると分からない」というくらいにはコミュニケーションを取れている。

これはこれで大変なんですけどね。

この苦労についてはまた別に書きます。

聞こえないというと、「聞こえにくい」
どちらかといえば受信的な問題がメインになりがちだ。

しかし、ボクの場合はむしろ発信が問題だ。

実は喋る方が苦手だ

自分と実際には話したことがある人は分かると思うが文章のなめらかさに比べてボクの話し方は非常に歯切れが悪く何を話しているかとても分かりにくい。

今、仕事では人工内耳と補聴器をつけて仕事をしているが、メインは筆談にしてもらっている。
もちろん、ボクから話すときも筆談だ。今のところ、これが一番気楽だ。

なぜなら、耳が悪いから発音がどうしても悪くなる。
でも、それ以上に口で話すことが苦手意識があるのだ。
小さいことから口で話すということは受動的な行動だった。
今ではそこまで極端ではないし、あおとのコミュニケーションにおいては家の中ではほぼすべて口頭での会話だ。

しかし、仕事などについてはそうはいかない。

かなり込み入った話をしなければならないこともある。
そういうとき、緊張してうまく話せないことが多い。
自分の発音の下手さ、どもりを気にしてスムーズに言葉が出ない。

それで焦って話す内容がますます支離滅裂になってしどろもどろ。頭の中にある内容がうまく伝えられない、というのは非常にストレスだ。

だから、職場ではできるだけ「喋らない」ようにしている。普段のボクの饒舌さを知っている人は驚くだろうが、職場においては無口キャラなのである。

しかし、この「無口」にADHD特性が合わさると凄く面倒なことになる。
ボクは本質的に話すのが好きである。というか、気になった事は聞かないと気がすまない。
だが、「仕事で気になった事を気楽に口で聞く」ということが苦手なのだ。

もちろん、メールをすればいい。
でも、メールは気をつかう。レスポンスも遅くなる。だから、どうでもいいことを聞くのはどうも気が引けてしまう。

かといって、いちいち筆談をするのも面倒と言えば面倒だ。
最近は以前に比べて明らかに筆談の量も増えたし、周囲も理解してくれるが、字が下手で書くのが遅い、という問題もまたあるのである。

なので、よい解決方法はないか、とここ数ヶ月ずっと悩んでいる。

課長に課のPCにチャットアプリを入れてもらう事を相談したのだが、職場の規約もありなかなか実現していない。

次善策として、職場の人のラインを教えてもらってそれでコミュニケーションを取ることなのだが、ラインはやはりプライベート色が強いし、私用のものを職場でつかってもらう、とことには抵抗感がある。(自分の物はその限りではないが)


そこで、ボクのもっているChromeBookとタブレットをうまく組み合わせて会話ができないかと検討している。
発信の問題だから、ボクがChromeBookで打ち込んだ内容をリアルタイムでタブレットに表示できればかなり改善するし、気楽だ。

なにより、ChromeBookは膝の上で打てるし、相手はタブレットをもってればよい。
対面での会話になると言うのがよい。

対面で会話するというのは大事だ。
表情や雰囲気、ちょっとした挙動も重要な情報だ。
そこは文字だけのコミュニケーションでは受け取ることができない。
ボクはそういう「ちょっとした表情の変化によるコミュニケーション」に飢えているのだ。

なので、この方法が課内で運用できないか、課長に書類をつくって申告してみたい。
その結果については、追って報告したい。

あと、何かよいアイデアがあれば(できるだけ金がかからない方法で)募集します。
twかコメントで気楽に書いて頂ければ。

身体を楽にするためには頭よりも道具を使え!

先ほど、ネットで買った背筋矯正ベルトが届いた。

185cm、ウエスト92の俺が使える背筋矯正ベルトはそんなに無いのだが、あおが使っている矯正ベルトを最大に伸ばせばなんとか使えるのが判明したので、今の自分にはかなり痛い金で購入した。

痛い金を出してまでなんで、買ったかといえば、あおが劇的に背筋の伸びがよくなり、肩が回るようになったからである。

先日、あおが義妹に紹介頂いたマッサージ師からマッサージを受けた。マッサージ師がボクの彼女は発達障害2の緊張時にマッサージをするという話を読んで何故か「揉んでみたい」という話になってたのである。

あおは整体を受けるのはあまり好きではないようだ。というか、以前整体に行ったら「あ、これ無理ですね。整体ではなく整形外科に行ってくれ」と言われて、整形外科からは「整体に行ってください」とたらいまわしされて、それ以降どうしていいかわからず放置していた、という状態であった。硬いというか、根本的に首の骨のつきかたが普通ではないからしい。何もかにも規格外だなと改めて思う次第。

それはさておき、紹介していただいたマッサージ師にじっくり体をほぐされたあおは体を動かして一言。「すげぇ、こんなに動くんだ!」
普段は手を肩より上に伸ばすことができない。しかし、マッサージを受けたあとには頭上で手首を握れるくらいにほぐされていたのである。
これは凄い、となり継続してマッサージを受けようと思ったのだが、マッサージ師はいつもは東京にいないのでなかなかタイミングが難しい。そこで、マッサージ師より「肩を開くように意識しなさい」とアドバイスを受けた。あおは肩の狭まりが一番ひどく、腰の痛みも肩から来ているということであった。

しかし、あおは「常に肩を開くように意識しない」と言われても「そんなの覚えられているわけないじゃない」というのである。もっともだよな、と「まぁ、ダメなら近い整体にでも通わせるか」と考えていたのだが、数日後にはあおはネットで矯正ベルトを買っていた。「そんな高いのを買うのか」と聞いたのだが、「身体に使うものの金はケチるとろくなことがないからねー」というのである。まぁ、高いと言っても6000円前後なので、ダメならダメでまぁいいかと考えていたのだが、あおが矯正ベルトを着けてから、姿勢が日に日に良くなってきて驚いた。

また、数日に1回はマッサージを続けているが、肩の板のように硬いポイントが減っていた。マッサージを受けてから3週間ほど経つが、今でも腕がちゃんと回るくらいに柔らかいままである。

なら、最初からつけておけという話であるが、人間、メリットを感じないことはしないものである。今回はあおが「身体が柔らかいとはどういうことか」という感覚が芽生え、それを維持しようという意欲が生まれたから買った。逆に言えば、無理につけさせようとしてもモチベーションは維持できなかったであろう。

で、俺も姿勢の悪さについてはあおに負けないくらいひどい。家族や周囲からも姿勢の悪さはしょっちゅう指摘されているのだが、背が高過ぎてねこぜになりがちと言い訳していた。確かに背中を丸めすぎることによる痛みは感じていたので矯正ベルトを買うことは検討していたのだがサイズがない、という問題があった。

今回、あおが買った矯正ベルトはかなり広い範囲をカバーしており、上は180cmにも対応しているもの。ためしにつけたらどうだ、ということで「無理だろう」とつけてみたのだが、意外と使える。そして、背中がきちっと伸びる感覚が思いの外気持よく、先日なんとかお金が入ったこともあり、購入に踏み切った。

で、今、矯正ベルトをつけながらPCを打っているのだが、すでに色々なメリットがあることがわかった。

まず、背筋が伸びるのでPCに異様に顔を近づけないですむ。見た目がいい、とあおはいうのである。また、PC全体を眺めることができるので、いつもより文書を打つスピードが早い気がする。
次に、明らかに肩と背中の負担が少ない。いつもは10分程度で肩や背中が疲れてこってくるのだが、今は30分打ち続けても伸びをしなくてよい。
さらに、いつも顎をつきだした格好でPCを使っているが、今はちゃんと頭を背骨で支えているのか、首も疲れない。さらには息の通りも良いのか、酸欠状態にならないのである
また、血がすーっとまっすぐに頭に入っていくような感じで頭がすっきりするような気もする。
これは大変良い買い物をした、と感激している。

発達障害者は妙に背筋が弱いのか姿勢が悪い人が多いようである。もし、今後も使い続けて姿勢改善が定着したら、また別に記事を書こうと思う次第である。

今回、さらにあおは特殊な靴を買った。

これは足首の関節が弱い子供向けの靴なのだが、あおは足首をひねることが多く、歩くときもふらつきが大きい。足首を固定する靴を前より欲しがっていたのだが、なかなか良い物がなく困っていた。先日、あおが国際福祉機器展に遊びに行った時にこれを見かけて試着してみたのだが値段が安い割にしっかり固定され、デザインも良いということで早速注文した。
まだうちの中でしか履いてないが、「ここまで脱ぎたくないと思った靴は初めてだ!」というくらいに気に入っている。 この靴があおの生活になにか良い影響があれば、これもまた記事を立てたい。

今回、この2つで思ったのは、「便利な道具はとことん使うが良い」ということだ。「身体をこう意識して生活すれば体に良い」とはよくいうが、我々はそんなことはすぐに忘れるくらいアタマが悪いのである。ところが人間とは頭が良い人の発明を使うことができる文化的動物であるので、便利な道具を使うことで体の不調を防げるならどんどん使っていくべきだと再確認したところである。

道具を使うって楽するのはけしからん、という声も大きいが、そもそも人間は道具を使うことで発展してきた動物なのである。そんな事を言う人は、極寒の中、裸で放り出して我々はこたつで温まればよい。

というわけで、次は「人間をダメにするソファー」と「人間をダメにするデスク」が欲しい、とあおに言ったところ、「ふざけんな死ね」と怒られたところで今日は筆を置くことにする。

恵まれているという罪悪感と贖罪

俺は恵まれているのだろうかと最近良く考える。
いや、考えなくても良いのだが、この度、1件重大なことが起きたのである。

twでは何度か触れたが、自分にADHDがあることが判明し、投薬しつつ仕事をしている。
しかし、ADHDのことはなかなか自分でも消化しきれず、あまり積極的には発信していなかったのだが、精神的にも肉体的にも苦しくなってきたことがあり、ADHDを職場にカミングアウトした。

その結果はこのとおりであった。

このまとめの大事なポイントは「くらげさんはできないことたくさんあるのはわかったけど、情報収集能力、分析力、文章力は高いからそれを活かすべきだし、上司としてそういうわりふりをしなければならない」と課長が言ってくれたことだ。
これは、上司が自分の能力をちゃんと理解してくれたということだろう。
自分の能力、すなわち文章力を理解してくれる上司がいたことは「恵まれてた」と言えるだろう。同時に「俺に文章を書く能力があった」ということも「恵まれていたこと」であろう。

ちょっと振り返ると、前職は主に障害学生支援の事務作業であった。しかし、やはり事務作業がダメだった。上司との折り合いが悪いのもあり、精神的に病んで5年で退職した。1年間、復職訓練をしながら求職活動をした。2年前の10月末までに仕事が決まらなかったら別れる、と言われていた。10月31日に勤務開始した。非常にギリギリであった。

あおは「あんたはいつも余裕が無い」という。確かに、金銭的にも肉体的にも精神的にもお互いギリギリのところでどういうわけか助かっている。しかし、余裕が有るわけではない。我ながら常にぎりぎり死なないで生きている、という話である。ギリギリでも生きていられることに感謝するべきか、余裕が無いことを嘆くべきかわからない。

しかし、障害が一つでも苦労する人が多いことを考えれば、3つ重なった状態で仕事をして自活できているということは喜ぶべきなのだろう。
 
そんな中、twである方のツイートを見た
このツイートをみて、「俺は恵まれているのか」ということについて再び考えこんだ。

俺は雑務ができないが、雑務が多い分野の部署にいるし、その中できついことも多々ある。特にものを数えたりする作業は肉体的苦痛を伴う。体が痛むのである。そういう意味では、今の仕事は向いてないのであろう。
しかし、課長にこの窮状を訴え、雑務の担当業務を外してくれた。
そのかわり、「別な分野のことで能力を最大限に発揮してほしい」ということである。

よく、障害者の就労については「できないこととできることをしっかり区別をつけてできることを伸ばせば良い」という話がある。確かに「聴覚障害」の部分については「電話ができない」「声でのコミュニケーションが取りにくい」という面は明らかになっている。しかし、ADHDについては、いまでもまだ「何がどこまでできるか」の区別はよくついてない。「これは肉体的に痛みを感じるから厳しい」という漠然なものである。

その、漠然なことを、なんとか言語化し、文章にして課長に伝えることができた、これもまた才能なのだろう。

まぁ、自分も暇な時間に自主的に課の改善案等についてコツコツ書いていなければこのような結果にはならなかったし、何より著作があることが何よりの「くらげは文章力はある」という証拠になっていた。それに、雑務ができなくても課長がいろいろ悩んでいるが書類を作る時間がない、というようなことを俺に任せれば良い、と気づいてくれた、といういろいろな要因が絡んだ結果でもあるのだが、今回のカミングアウトでの「成功」を導いたのは俺に文才があった、ということは大きな要因であろう。

つまりは「芸は身を助ける」ということか

まぁ、この取組は始まったばかりなのでこの先どう動くかは分からないが

とりとめもなく書いたが、まぁ、俺は「恵まれている」のであろう、ということを一つ確認することができた。喜ばしい限りである。

ところで、以前なら「恵まれていること」について罪悪感を覚えていた。しかし今は自分とあおの生活を成り立たせるために前に進まねばならぬ。罪悪感はないわけではないが、それを背負い、「恵まれてる」という自覚だけは忘れず生きていく。その先に余裕が生まれてから罪悪感を贖罪すれば良い。

まぁ、頑張れ俺。
くらげについて

聴覚障害(2級)とADHD(診断あり)と躁うつ病患者の三重苦ですがなんとか自立して生きてます。 このブログは障害者としていく意味やらライフハックやら時事ニュースを取り扱っていきます。
同じく発達障害の「あお」と同棲中。結婚はまだかと急かされています。
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